日本史⑥ (漢字と仏教の伝来)

仏教伝来については教科書に明確に書かれており「538年百済聖明王が仏像と経論を欽明天皇政府に献じた 」と記載されています。 「日本書紀」には552年 と記載。

日本史⑥ (漢字と仏教の伝来)
漢字は中国で生まれた文字である。日本に漢字が伝来したのは、紀元 1 世紀まで遡ると言われている。
しかし、その頃の記録が存在しているかというと明らかではない。実在するものは、稲荷山古墳から出土した鉄剣名(471 年)などの文献が最古のものであり、倭の五王の頃の 5 世紀以後のものが実在している最古のものである。
そんなわけで、本格的に漢字が用いられ出したのは 5 世紀ころからとなる。
日本書記には、15 代天皇応神天皇(420 年頃)のとき、百済王が王仁を遣わせて、「論語 10 巻」と「千文字 1 巻」を貢進したとされており、漢字の日本への伝来は文献としてはこの時代となる。
上記の「論語」の伝来に対して、伝教の伝来は、少し遅れて、欽明天皇 13 年(552 年)、百済聖明王(523~554 在位)の時代になる。
聖徳太子(574~622 年)の事跡とされる 603 年の冠位十二階や、604 年の憲法十七条の制定は漢字の使用が政治の規律を定めるまでになっており、特に仏教においては、法華、維摩、勝鬘の「三経義疏」の聖徳太子の著作にまでなって
残され、594 年には摂政となった聖徳太子が「仏教興隆の詔」を発出した。
飛鳥・奈良・平安時代を貫くキーワードは仏教と言われている。百済より伝わった仏教を巡り、豪族が対立し、政権は動揺する。仏教の導入を支持した蘇我氏が反対派の物部氏を滅ぼし、聖徳太子は仏教を核に蘇我氏を牽制して、天
皇中心の国家建設を目指し、国家の安定を図った。
奈良時代には、国家を守るため仏教が国教化され、それを象徴する大仏が完
成し、その頃遣唐使船で鑑真が来朝するなどして、日本の仏教は本格的に発展することとなった。
僧の地位は向上し、政治に進出するなどしたが、この時代の仏教は庶民のものではなく、国や権力者を守護するものであった。
政権基盤の弱かった桓武天皇は、政治に関与する僧侶から離れるために長岡京遷都を決めるが、政治の混乱が続き再度都を移すことを決め、願いを込めて遷都した都に平安京と名付けた。
平安遷都(794 年)後、桓武天皇は、新しい仏教を求め最澄に新しく比叡山延暦寺を開かせ、また蝦夷征伐で勢力を拡大し、地方政治を改革し、官職も改め、軍団を廃し、志願兵を採用する制度を成立させ、天皇権力を強化した。
参考:(日本史史料集 山川出版社、日本通史 复旦大学出版社)