最近は、
正阿弥勝義【しょうあみかつよし】、
小川破笠【おがわ・はりつ】
和気清麻呂
吉備真備
吉備真備(695年~775年)
備中国の名門下道氏一族の子として生まれ、幼い頃より優れて、日本にただ1つ都にある大学に入学し、遣唐留学生として、唐の長安に渡る。
長安にて17年間、色々な学問を修めて帰国。真備の持ち帰った新知識や文物は日本の国家を支える上で重要なものばかりだった。
奈良朝政府の奈良朝政府の中心にて、右大臣にまでなり、国のために力の限りを尽くした。
和気清麻呂(732年~799年)
備前国藤野郡に生まれ、2歳年上の姉広虫とともに、仲良く、心の優しい姉弟であった。
清麻呂は役人となり、姉広虫とともに都で活躍する。
特に、清麻呂は土木技術の知識に優れ、桓武天皇が平安京への遷都事業に関わり、貢献した。
また、清麻呂は開墾事業をし、その田の収入は困った人たちを救うために使った。
清麻呂の慈善思想は和気一族の子孫に伝えられた。