『続日本紀』に出てくる役小角
役行者が歴史に登場するのは流罪に処されるという衝撃的な事件によるものでした。
『続日本紀』の文武天皇3年(699年)5月24日の記述には、次のようにあります。
「役の行者小角を伊豆嶋に配流した」
小角は最初、葛城山に住み、呪術に優れていることで有名でした。
外従五位下・韓国連広足の師匠でもありました。
しかし、後に小角の能力が悪用され、人々を惑わすものであると讒言され、遠流の罪に処されました。
世間の噂では、「小角は鬼神を自在に使役し、水汲みや薪取りをさせ、命令に従わないと呪術で縛り動けなくした」と言われています。
姓は「役」、名は「小角」であり、役氏は「賀茂氏」の一族であるため、フルネームは「賀茂役小角」となります。
役小角が正史に登場するのは、この一度限りでした。
水銀・鉱山で結びつく空海と修験道
中央構造線上の吉野や高野山付近は水銀の産地で、縄文時代から朱を採掘していた記録や丹生神社が数多く残っています 空海は水銀に関する知識を持って唐から帰国したと思われます 水銀は、朱の顔料として絵画や建築物に使われ、鍍金(めっき)の材料としても利用されていました。
また、水銀が採れるところは、金も採れるということが知られていました。
つまり、金を見つけるために水銀を探していたともいえます。
空海が修行したとされる金剛山や吉野も中央構造線の付近にあり、丹生氏や水銀との関係を想起させるものです。
丹生都比売神社、丹生川上神社をはじめ、伊勢神宮、二見興玉神社なども中央構造線の付近にあります。
修験道と吉野山や金剛山の水銀・鉱山が深く結び付いていることがわかります。