1983 - 1948 = 35 (40年前)
1983年から1990年代まで
1981年にIntel 8088を搭載したIBM PC
5550は開発当初より、IBM PCとの互換性にとらわれない、日本市場に特化したパソコンとワープロの複合機として考えられていた[3]。日本語ワープロ専用機では一般的であった24×24ドットの明朝体フォントを表示するため、当時のパソコンとしては高解像度の1024×768ドット(グラフィック画面の場合)での表示をサポートした(ディスプレイ型式5555-B01モノクロ15インチ利用時[4])。日本語のみならず中国語や韓国語といった他の言語への対応を見据えて、表示用フォントはディスクから読み込んでソフトウェアで表示する方式をとった[5]。これは後のDOS/Vと同じ手法である。キーボードは日本語ワープロ機能に適した1型や各種通信端末機能に適した配列などが用意された。ディスプレイは目の疲れを防ぐために長残光蛍光体を使用し、モノクロディスプレイは黄緑色の単色表示であった[1]。
- 日本語ビジネス・パーソナル・コンピューター - マイクロソフトが開発したMS-DOS 2.0相当の「日本語DOS」と、その上で動作するMultiplanなどのアプリケーションソフトが用意された。日本語DOSには標準でBASICインタプリタが付属した。
- 日本語ワード・プロセッサー - 日本IBMが開発した「文書プログラム」。
- 日本語オンライン端末 - 日本IBMが開発した「3270漢字エミュレーション」「5250漢字エミュレーション」。
文書プログラムは日本語DOSとは異なる独自のOSで動作するもので、各端末エミュレータも特殊なプログラムの上で動いていた。また、日本語DOSは内部コードにシフトJISを使用したが、文書プログラムはEBCDICとIBM漢字コードを使用し、データ用のフロッピーディスクも日本語DOSと互換性がない独自のフォーマットであった。これら3つの機能は起動時に使用するフロッピーディスクの入れ替え、またはハードディスクの起動区画を変更することで、切り替えて使用することになっていた。これらの間でデータを交換するには変換プログラムを通す必要があった。それぞれ独立した別々のソフトウェアとして供給されたことについて、日本IBMの5550担当者は「アプリケーションが独立しているため、逆に1つ1つの機能を十分に引き出すことができる」と釈明した[6]。3270漢字エミュレーションは1983年10月に「日本語3270PC」、5250漢字エミュレーションは1984年9月に「日本語5250PC」として日本語DOS上で動くバージョンが発表され、従来品と並行して段階的に機能が実装されていった[7]。文書プログラムについても、1986年5月に日本語DOS上で動く「DOS文書プログラム」が追加された[8]。www.google.com